ワールドフォーラム4月例会のご報告

反核平和海外ひとり行脚と国際連帯
−今、改めて反核平和を訴える!−

日本ペンクラブ&詩人クラブ会員  橋爪 文 氏

ワールド・フォーラム4月例会では、 イランの核問題にかかわる国際的な制裁措置が緊迫した国際情勢の危機を生み出しつつある昨今、イランの核施設をイスラエル・米英が急襲すると いう先制攻撃の意図が公然と語られており、核戦争脅威が現実的な脅威の入り口に世界は立たされてている緊迫した国際情勢になり、先の大戦で 史上初めて広島に投下された原爆で爆心地から1.5キロの距離で被爆された経験者の、日本ペンクラブ & 詩人クラブ会員 橋爪 文 氏をお招きして、「反核平和海外ひとり行脚と国際連帯 ー今、改めて反核平和を訴える!ー」というテーマでお話戴きました。

橋爪氏は、14歳の少女時代に爆心地近くで被爆されたにもかかわらず、奇跡的に助かり長年その後遺症に苦しみながらも、 自らの被爆体験を書籍や詩などで語り継いで、2度とそのような悲惨な体験を人類が繰り返すことのないように、反核・平和海外ひとり行脚してこられました。 こうした視点からは、現在進行しているイランの核問題にかかわる国際的な制裁措置が生み出している緊迫した国際情勢の危機と核戦争の脅威が現実的に なっている世界をどのように見ておられるか被爆者の生の「反核の訴えと叫び」を伺いました。

イスラエルのシャロン首相がイスラエル軍に対して、3月末までにイランに対して先制攻撃をかける準備をせよとの命令を下したとの報が流れており、 イランの核施設に対する先制核攻撃の懸念が広がっています。こうした国際情勢下で、歴史上唯一の被爆国として、我が国にはなすべき使命が存在しています。 そこで、これまで反核の一人行脚の国際活動を長年に亘って続けてこられた 橋爪 文 氏に再度ご登場戴いて、こうした重大な時節に世界の核使用の禁止の 訴えについて、被爆者の立場から語って戴きました。

プロフィール

橋爪 文 氏

橋爪 文 氏 1931年1月広島市生まれ。14歳の1945年8月6日朝、米軍機エノラゲイの投下したウラニウムがた原爆に、爆心地から1.5キロの近距離にあった逓信省貯金支局のビルの中で、 勤労動員中に被爆した。が、奇跡的に生き残り被爆直後の市内の様子を目撃し、克明に記録したドキュメンタリー「少女・14歳の原爆体験記」(高文研)で、 「女学校3年生の時、勤労動員先で被爆し、奇跡的に生きのびた少女は、猛火の下で一夜を過ごした翌朝、死の街を縦断してひとりわが家へ向かった…。」 詩人の感性をもつ少女の目を通して、被爆の実相と、廃墟に生きた人々の姿を描いたノンフィクションを著して、原爆後遺症に悩みながらも元気に詩人や作家として 活躍されている。1994年からニュージーランドやスウェーデン・デンマーク等訪欧して反核の国際連帯を通じて、 ニュージーランドの反核/平和運動家の元英国海軍大佐ロバート・グリーン氏や妻のケイト・デュース氏や反核運動家だったエルシー・ロック氏と交友して、 執筆・作詞・講演活動等を行ない、現在に到る。多彩な市民・環境・反核団体との交流を深めている。
主な著書には前記のドキュメンタリー「少女・14歳の原爆体験記」(高文研)「昆虫になった少年 詩集」(高文研)合唱組曲「星の生まれる夜」「組曲ひろしま」 「早春」等があり歌曲/合唱曲の作詞が多数。